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皆さんこんにちは!
株式会社境関養豚、更新担当の中西です!
~戦後復興〜高度経済成長~
戦後の日本は、食糧不足と復興の只中にありました。人々が栄養を求め、都市が膨らみ、食の需要が一気に増える。ここで養豚は、「短期間で肉を供給できる家畜」として大きな役割を担います。豚は繁殖力が高く、成長も早い。社会の要請に合致し、養豚場は拡大・近代化の道を突き進んでいきます📈🐷
生活水準の向上とともに、家庭の食卓は変わります。外食産業も広がり、加工品も増える。豚肉は多用途で、家庭料理にも業務用にも使いやすい。ここで養豚は「安定供給」が強く求められるようになります。
需要が伸びるほど、養豚場は規模を増やし、出荷を安定させる必要が出ます。結果として、少頭飼いから中規模・大規模へ、構造が変わっていきます🏭🐷
高度成長期の養豚を語るうえで外せないのが配合飼料の普及です。
飼料が安定供給されると、成長速度や肉付きが読みやすくなり、計画出荷が可能になります。ここで養豚場は、経験だけでなくデータや管理の世界へ進みます。
体重の伸び
飼料要求率(どれだけ食べてどれだけ増えるか)
出荷日齢
死亡率
こうした指標が経営の言葉になり、“成績を作る産業”として磨かれていきます🐷📈
規模が大きくなるほど、衛生管理は重要になります。そこで豚舎の構造や設備も進化します。
換気の工夫(湿気・熱・アンモニア対策)
床構造の改善(掃除しやすさ、糞尿分離)
給水設備(清潔な水の安定供給)
飼育密度の設計
こうした“環境づくり”が、生産性と直結するようになります。豚の健康が良い=成績が良い。ここで養豚場は、家畜を飼う場所から“管理された生産空間”へ近づいていきました🐷✨
頭数が増えるほど、病気のリスクも増えます。感染症は広がれば損失が大きく、出荷計画も崩れます。
ここで重要になるのが、ワクチン、消毒、導入豚の管理、隔離、そして「持ち込まない」意識です。
この時代から、養豚場は“防疫”という考え方を強め、獣医師や指導機関との連携も深まっていきます🧴🦠
規模が大きくなるほど、糞尿の量も増えます。これは資源である一方、処理を誤れば臭気や水質への影響になり、地域との摩擦も生みます。
そこで堆肥化、発酵、農地還元、処理施設の整備など、“循環を保つ技術”が再び重要になります。
つまり高度成長の養豚場は、「大量に作る」だけでなく「社会と折り合う」技術も求められるようになったのです🌿♻️
戦後〜高度経済成長期は、需要拡大に応えるため、養豚場が大規模化・工場型へ進化した時代でした。配合飼料、施設、衛生、防疫、数値管理。ここで現代養豚の骨格が作られます。
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皆さんこんにちは!
株式会社境関養豚、更新担当の中西です!
~養豚場の形が整っていく🐷🏭📦~
明治以降、日本は社会全体が近代化へ大きく舵を切ります。交通、産業、都市の拡大、そして食生活の変化。こうした流れの中で、養豚も「家の裏の豚飼い」から「事業としての養豚」へ変化していきました。ここで初めて、豚を“計画的に増やし、出荷し、収益化する”発想が強まります📈🐷
都市に人が集まれば、食料は安定供給が求められます。自給自足的な飼養だけでは追いつかない。そこで、一定規模で豚を飼い、出荷する仕組みが必要になりました。
この時代、養豚は「需要があるから増える」だけでなく、「計画して生産する」方向へ進みます。繁殖、肥育、出荷の流れが整理され、飼養は“経営”として語られ始めます📊💡
近代化の中で重要なのが品種や改良の考え方です。豚は成長が早い一方、環境や飼料で体づきや脂の乗りが変わりやすい家畜でもあります。
「より大きく育つ」「肉が取れる」「繁殖が安定する」――こうした目的のもと、飼い方も変わります。飼料をどう作るか、どのくらい与えるか、どんな小屋が良いか。経験則に加えて“体系化”が進むのがこの時代の特徴です📚🐷
豚を一定数以上飼うには、単に囲いを作るだけでは難しくなります。
糞尿の処理
水の確保
病気の蔓延防止
雨風・暑さ寒さへの対応
飼料の保管
これらを考えると、飼養場所は“場”として設計される必要が出ます。つまり養豚は、「豚を飼う」から「豚を飼える環境を作る」へと発想が移るのです🏗️🐷
この変化が、養豚場の原型を形づくっていきました。
豚は群れで飼うほど、病気が広がりやすくなります。そこで重要になったのが衛生管理です。
当時の技術は現代ほどではありませんが、
風通しや湿気の管理
汚れた敷料の交換
飼育密度の工夫
病気の個体の隔離
といった取り組みが徐々に意識されていきます。
ここで養豚は、経験の世界から“対策の世界”へ変化していきます🐷🧠
出荷が増えると、養豚は市場価格の影響を受けるようになります。飼料代、輸送、都市の需要、景気。こうした要因で収益が変動する。
この時代から養豚場は、農家の副業的な位置づけから、地域経済と結びつく“産業”としての顔を強めていきます。つまり養豚は「育てる仕事」であると同時に、「経営する仕事」へ変わっていくのです📈🏭
明治〜戦前にかけて、養豚は都市需要とともに拡大し、品種・飼料・衛生・施設の考え方が整っていきました。
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皆さんこんにちは!
株式会社境関養豚、更新担当の中西です!
~「豚がいる風景」のはじまり~
「養豚場」という言葉から、いま私たちが思い浮かべるのは、豚舎が並び、給餌や換気が管理され、衛生管理が徹底された“生産の現場”かもしれません。けれど、養豚の歴史をたどると、最初はもっと素朴で、地域の暮らしの延長線にある存在でした。豚は“食べるための家畜”であると同時に、残り物を活かし、肥料を生み、家の営みを循環させる役割も担っていたのです🐷✨
日本全体で豚が当たり前に飼われていたわけではなく、歴史的には地域差が大きいのが特徴です。特に語られるのが、南の島々や沿岸地域。農地が限られ、作物だけでなく海の恵みや交易の影響を受けやすい地域では、豚の飼養が暮らしの中に根づきやすかったと言われます🌊🌿
一方、内陸部では牛馬が農耕や運搬の労働力として重視され、豚は“労働をしない家畜”として優先順位が低くなりがちでした。つまり、豚の歴史は日本全国一律ではなく、「必要性の高い土地」から少しずつ広がっていった流れを持っています🗾📌
近代的な養豚場が生まれる前、豚は家の裏手や集落の一角で飼われることが多く、飼料もいまのような配合飼料ではありません。台所から出る残渣(食べ残しや野菜くずなど)を活かし、地域で手に入るものを与える。豚は“なんでも食べる”イメージがありますが、まさにこの特性が昔の暮らしに合っていました🍠🥬
そして豚は、ただ肉になるだけではなく、糞尿が肥料として循環する点も重要でした。畑を耕し、作物を育て、残渣を豚へ、糞尿を畑へ。いまの言葉で言えば「循環型農業」の原型です♻️🌾
もちろん当時は、衛生という概念が現代ほど整っていません。だからこそ、飼う場所の工夫、臭気や害虫との付き合い、近隣との距離感など、地域の暮らしの中で“折り合い”をつけながら続いてきたのが豚飼いの実態でした🧹🌿
歴史の中で、日本の食文化は宗教観や社会制度の影響を受けてきました。肉食が広く一般化していた時代ばかりではなく、地域や階層によっても差がありました。そんな中でも豚肉は、土地柄や外来文化の影響を受けた地域で工夫され、料理の形として残っていきます。
豚は牛や馬に比べて成長が早く、繁殖力も高い。つまり「必要なときに増やしやすい」という性質があります。ここが、生活の中での“現実的な家畜”として受け入れられていく理由の一つでした🐷📈
昔の豚飼いには、いまのような機械化や数値管理はありません。それでも、経験に基づいた技術は存在しました。
病気になりやすい季節の過ごし方
雨をしのぐ小屋の作り
風通しと寒さのバランス
子豚を守るための工夫
匂いを抑えるための敷料(わら等)の使い方
これらは、科学ではなく生活の知恵として積み重なっていきました。養豚の歴史は、最初から“産業”として始まったのではなく、暮らしの中で磨かれた“手触りのある技術”から出発したのです😊🐷
この時代の養豚は、いまのような大規模生産ではなく、地域差があり、生活と地続きの営みでした。豚は食を支え、肥料を生み、家の循環を回す存在。ここに養豚場の原点があります。
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